娘が学校に行けなくなり、毎日苦しんでいた頃のことです。
「今は辛くても、不登校になってよかったと思える日が来るよ」
そんな言葉を幾度も耳にしました。
でも当時の私は、その意味が全くわかりませんでした。
中学生という大切な時期に学校へ行けない。
毎日、家で寝ている。
友達は学校へ行き、部活をして思い出を作っている。
そんな姿を見たり聞いたりするたびに、「娘の大切な時間が失われている」そう思っていました。
私は毎日泣いていました。
不登校になってよかった?
そんなふうに思えるわけがない。
「きっと慰めてくれているだけなんだろう」と思っていました。
私は何に苦しんでいたのか
今振り返ると、私は娘の不登校そのものだけに苦しんでいたわけではありません。
本当に苦しかったのは、
「学校へ行くのが当たり前」
「高校へ進学するのが当たり前」
「みんなと同じようにできなければ困る」
と言う私自身の思い込みでした。
私は視野の狭い中での子育てをしていました。
こうあるべき。
こうしなければならない。
子どものためと言いながら、実は自分の不安を子どもに背負わせていた部分も合ったと思います。
不登校が教えてくれた本当のこと
私は娘の不登校をきっかけに、自分自身を見つめ直すようになりました。
そして初めて気づいたのです。
私が育った環境は、決して心が自由に育つ環境ではなかったことに。
私は子どもの頃から、自分の気持ちに蓋をして生きてきました。
悲しい。
寂しい。
嫌だ。
苦しい。
そういう言葉を口にすると、なぜか父が不機嫌になり叱られ、家の空気が重くなりました。
そのため私は、自分の気持ちを感じることよりも、周りに合わせることを覚えていったのです。
本当はどうしたいのか。
本当は何を感じているのか。
それさえわからなくなっていました。
でも私は、その生き方が普通だと思っていたのです。
娘は私が作った「優等生」だった
娘は優等生でした。
明るく元気で人気者。
それでいて勉強もでき周りから褒められる子でした。
私にとって自慢の娘だったのです。
でも今ならわかります。
あの優等生は、娘本来の姿ではなかったのかもしれないということ。
娘は元々自由な発想を持つ子でした。
好奇心旺盛で、自分の世界を持っている子でした。
それなのに私は、
「こうあるべき」
「ちゃんとしなさい」
という型に当てはめようとしていました。
娘はそんな私の期待に応えようと、一生懸命頑張っていたのだと思います。
そして限界がきた。
それが不登校という形だったのかもしれません。
子どもは問題を教えにきてくれる
不登校になる子は弱い子ではありません。
むしろ頑張りすぎる子が多いと感じています。
娘もそうでした。
周りに合わせようとしていました。
そして私もまた、いい母親になろうと頑張りすぎていました。
だから娘の不登校は、娘だけの問題ではなかったのです。
本当に見直す必要があったのは、娘ではなく私自身の生き方だったのかもしれません。
娘はそのことを教えてくれたのだと思います。
私自身が自分を取り戻した
娘が不登校になったことで、私は初めて立ち止まりました。
そして少しずつ、自分の気持ちに耳を傾けるようになりました。
本当は悲しかったこと。
本当は苦しかったこと。
本当は我慢していたこと。
長い間見ないようにしてきた自分自身と向き合ったのです。
その結果、変わったのは娘だけではありませんでした。
私自身も少しずつ自分を取り戻していったのです。
もし娘が不登校にならなかったら・・・
私は今でも、「ちゃんとしてなければ価値がない」と思いながら生きていたかもしれません。
そして自分がなぜ生きづらいのかにも気づかなかったでしょう。
今思うこと
娘も息子も社会人になりました。
それぞれ仕事を頑張りながら、自分の人生を歩いています。
娘は今、自分らしく生きています。
自由に、楽しそうに。
でも決して好き勝手に生きているわけではありません。
やるべきことはちゃんとやっています。責任を持ち、自分の人生を歩いています。
私は昔、「こうしなければ幸せになれない」という私自身の価値観を、知らず知らずのうちに娘にも当てはめていました。
でも今は違います。
子どもは親の価値観に合わせて生きることが幸せでなのではなく、その子らしく生きられることが幸せなのだと思っています。
不登校で苦しんでいるお母さんへ
今、苦しんでいるお母さんに「いつか不登校になってよかったと思えるよ。」とは簡単には言えません。
なぜなら、今が本当に苦しいことを知っているからです。
でも今だからわかることがあります。
それは、今見えている景色が全てではありません。
子どもは成長します。
そしてお母さんも変わります。
不登校は望んだ経験でなかったけれど、あの出来事がなければ気づけなかったことが、たくさんあったと思うのです。
私が大切にしている言葉です。
「I love you because you are you.」
この言葉はまだ娘が1歳の時に子育て講座で聴いた言葉です。
あの頃、私はこの言葉の本当の意味が分かっていませんでした。
あなたはあなたでいい
何かができるから愛されるのではない。
学校へ行くから価値があるのでもない。
ただ、あなたがあなたであること。
それだけで十分なのだと。
この言葉は、娘に向けた言葉であると同時に、私自身に向けた言葉でもあったのだと。
私は長い間「人からどう見られるか」と思いながら生きてきました。
でも本当は私は私のままで良かったのです。
それを気づかせてくれたのが娘の不登校でした。

